日本建築のむかし話~和瓦の恩人・大岡越前~

2021/01/20 (水)

江戸の町というのは、火事の多い町でよく知られていますがそんな町を不燃化にしたいと取り組んだ人がいます。
それが、知名度の高いあの大岡越前です。

1657年、4代徳川将軍家綱の治世に
江戸の町は「明暦の大火」と呼ばれるすさまじい大火災に見舞われます。
復興にあたりさまざまな施策が執り行われましたがその一つに「瓦屋根の禁止」というものがあります。


火災時に屋根瓦の落下による犠牲者をなくすというのが本来の目的でしたが
その結果、檜皮葺きや萱葺きの家が増えて
皮肉にも延焼火災でますます悩まされるようになったのです。

日本古来の瓦葺きは「本葺き瓦」といい
半円筒状の丸瓦と、やや平らな平瓦の2つを組み合わせて葺くという重厚なものでした。
しかし、火災時の犠牲者が出ないように、もっと軽くできないものかと考える瓦師がいます。
そして試行錯誤を重ねながら、現在のものに近い桟瓦の開発に成功します。


やがて時代が過ぎ、1716年、8代将軍吉宗が享保の改革に着手するころ
吉宗の信任を得て、防火対策をはじめ江戸の都市政策に取り組んだのは
江戸町奉行に着任した、あの大岡越前です。


あるとき、目安箱に「火災防止のために瓦葺きを許可してほしい」との投書がありました。
彼は、軽量化に成功した瓦の、その有効性を確信し、60年続いた瓦屋根禁止令を解きます。
大岡越前は、高圧的なお奉行様ではなく、経済的理由で瓦屋根への変更を渋る町名主たちには
気長に説得にあたったり、補助金を支給したりするなど、手厚い対応をとったと伝えられています。


こうした江戸市街の不燃化への取り組みは
後に瓦の需要を大きく伸ばし、日本家屋の代表的屋根材として
瓦の地位が確立していったことにもつながります。


熊本市・宇城・宇土のエリアで新築やリフォームをお考えの方は株式会社光ホームにお任せください。
住宅建築、主に新築の設計、リフォームから店舗改装など、おしゃれなデザインと省エネルギーを両立させた家造りを行っております。
店舗改装のご相談は、設計から施工まで行う株式会社光ホームにお問合せください。

お問い合わせはこちらから